雨の日に会おうよ
 


    雨が降ると、憂鬱な気分になる。僕だけじゃあないと思うが、傘
   を差すのも億劫で、結局は肩も鞄も濡れてしまう。
    たまに、傘をもっと進化させればいいんじゃないか、と思う。例
   えば、前後左右全部ビニールに包まれるとか。
    ……待てよ、それは合羽になるのか。特許を取るっていうのは難
   しいな。
    そうだ、ワイパーだ。全身を宇宙服のような、防護服のようなも
   のに包んで、顔面にはフルフェイスのヘルメットのようなものをか
   ぶり……。
    駄目だな。それは完全に不審者だ。売人でもそんな格好はしてい
   ない。

    僕がそんな馬鹿な事を考えていた矢先、背中から由香里の声が雨
   音にかき消されそうになりながらも、微かに聞こえた。


   「歩くの速いよ」


    はいはい、と僕は歩幅を少し縮めて歩く。
    由香里の短い歩幅に合わせるように、僕は気をつけながら足を進
   めた。


    それ以降、彼女は何も話さなくなった。


    僕はぼうっと傘を肩に乗せて歩く。考える事は、今日の授業はつ
   まらなかったとか、あいつの好きな子があまり可愛くなかったとか、
   今度の“タマ”は不純物が無いと良いなとか、他愛もない事だった。
    僕たちの傍を水たまりを撥ねさせながら軽自動車が走り去っていく。
   おかげで足元は泥水に侵され、ズックの中はびしょびしょになった。
   一歩進める度に襲いかかるくぐもった水音と不快感。

    ――最悪だ。


    ちら、と由香里を見る。
    少しだけ、きっと僕にしか分からないであろう、彼女の反応。
    ふ、と彼女は口角を上げた、ように見えた。
    彼女はここのところいつもそうだ。雨の日には少し上機嫌になる。
   赤いフリルのついた、いかにも女の子らしい傘で顔の上半分を隠し
   て、僕の少し後ろを歩く。

    彼女は先天的に、肌がとても弱いらしい。それこそ、夏には必ず
   日傘が必要なくらいに。
    紫外線が何とか……だったか。詳しいことは正直なところ解らな
   いのだが、彼女が日光に肌をさらしていることは少なかった。
    特に最近はそれがとても酷くなっているようで、日常生活を営め
   ないレベルにまで達してきている、と彼女の両親は語っていた。

    そして彼女は、いつの間にか学校ですら雨の日にしか登校しなく
   なり、日に日に以前のような覇気は無くなっていった。

    それでも彼女は決して弱音や愚痴などを言わなかった。
    そして彼女は“鬼ごっこと同じでしょう?”と云う。

    蒸し暑くなってきた、五月末の放課後。

    彼女はいつまで鬼ごっこを続けているのだろうか。
    きっと、彼女の息が途絶えるまで。その瞬間まで彼女は鬼ごっこ
   を続けるのだろう。

   「いつか、海でも行かないか?」
    唐突な僕の言葉に、彼女は不審げに雨傘を少しだけ背に傾け、目
   を見開いた。
   「いや、卒業したら。俺、車の免許取るからさ。いつか、どっか遠
   いところへ」
    言うと、今度は彼女の頬の筋肉を明らかに引っ張り、こくり、と
   うなづいた。


    じゃあ、また、雨の日に。

    信号のある交差点で僕は左手を振り、彼女と別れた。


    独りになった僕は、梅雨が近いな、なんて、言った。




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