どこまでもドア
 


    私がネットオークションでそれを見つけた時にはすでに数十の入
   札があり、値段は六桁をゆうに超えていた。


    そんなものが本当に現実に存在するのか、という疑問と出品者は
   どんな人物、又は企業か。
    まだ猫型ロボも開発されてもいないのに、この国にそんなものが
   あるものか、と。


    出品者のコメント欄には
   『あなたが行きたいと思った場所に行けるドアです。数量限定。お
   早めに!』
    と記してあった。


    おいおい、こんな謳い文句で落札しようとするか普通……、と私
   は馬鹿な世間にげんなりした。


    その間にも入札数と価格はどんどん増えてゆく。
    はあーぁ、とため息をつく。
    六畳一間の貧乏浪人生が買えるもんじゃねぇわなー、と、至極真
   っ当な言葉を頭の中で唱える。
    ありゃあ石油王とか海賊王とか、なんかそっち系の人が遊びで買
   うもんだ。うん。


    私は立ち上がり、溜め込んだ洗濯物を下宿先のアパートの玄関脇
   にあるドラム式の洗濯機にどさどさと服を詰め込み、洗剤を撒く。


    ――どこまでもドア。


    頭の中はそれでいっぱいだった。
    写真を見る限り、ピンク色の、明らかに猫型のロボのポケットか
   ら出てくるそれだ。
    そこまでするならば、何故本来の名前にしなかったのか。本当に
   そんなことが出来るとなるとかなりの技術力を持ち、そこそこに実
   績もある企業の筈だ。
    著作者に許可をとるくらい出来るはずである。


    洗濯機のドラムが回り始めたのを確認し、私は自室への扉を開け
   る。


    ――もしもこの扉があれであれば――。


    そんな考えが頭をよぎった。


    ゴミ捨て場に落ちていたノートパソコン(知り合いに修繕してもら
   った)は相も変わらずうーん、と唸っている。
    私は軽い気持ちでF5のキーを押し込んだ。




   「うおっ」




    思わず声が出た。入札数が三桁を超え、価格はかなり高騰してい
   る。それこそ、財閥の娘が購入するような額。
    オイオイ……結構いい中古車買えるじゃんよ……なんなんだよこ
   のバカどもは……。


    集団心理、だろうか。何も調べもせず、私は興味本意で入札のボ
   タンをクリックしてみた。


    そして、不思議な現象が起こる。


    私が入札した瞬間、それまで競い合っていた連中がピタリとその
   手を止めたのだ。まるで、私の入札を待っていたかのように。


    え、ちょっと待って、これ、私が競り落としたことになっちゃう
   の? え、ちょっと。


    言ってみても無駄だ。入札は私の千円が最後になっている。


    入札上限? うぅん、そんなことないよね?
    制限時間はあと一時間と表示されている。
    きっと、この一時間にまた入札する人が出てくる筈。
    むしろ、そうしてくれなければ私はこのヘンテコなドアの為に百
   二十万を払わなければいけなくなる。


    もちろんいくらレビューサイトなどを探してみても何も情報はな
   い。製造元のウェブサイトは見つかったものの、それがなんと電車
   とかを作ってる企業らしい。


    ますますうさんくせぇ……。


    まぁ、この一時間の内に誰か入札するだろ、と軽く考え、私は少
   し減りかけていた野菜を買う為に近所のスーパーマーケットに出か
   けることにした。


    しっかし集団心理って恐ろしいな。
    とかなんとか考えながら、自前のエコバッグを前かごに突っ込み、
   ふらふらと自転車を走らせる。


    空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降ってきそうな空だった。


     ○


    ききぃ、と甲高い自転車のブレーキ音が鳴り響く。
    もうこいつとも何年の付き合いになるのか、中学一年の頃からだ
   から……あー。もうどうでもいいや。


    幸い、天候は変わらず曇っていたが、雨は降らなかった。
    私は投げ売りされていた食材を全て飲み込んだエコバッグ
   を前かごから持ち上げ、いつも通りの足取りでボロアパート
   の今にも底が抜けそうな鉄製の錆びきった階段を上る。


    ――もうリミットの一時間はとうに過ぎている。
    もしも入札者が他にいなければ、あのヘンテコなドアは私のもの
   となってしまう。


    そんなはずはないだろう。だって私が初めに見た時には物凄い量
   の入札があったんだし、たった千円ぽっちで諦める人がいる訳がな
   い。


    右手にパンパンのエコバッグ、左手にドアノブ。


    私は何故か不安を拭えないまま自室に入ったのだが、悲しいかな
   それは現実のものとなってしまっていた。


   『落札おめでとうございます!』


    私の左手は無意識に力を抜き、黒ずんだ野菜の詰め込まれたバッ
   グはどすん、と音を立てた。


    ちょ、えっ。なんで?私が……!?
    落札……って、そんな……。え、えぇー。


    食材を冷蔵庫に詰め込むのも忘れ、私はダンボール机の上のノー
   トパソコンに向かった。


    うそ……うそでしょ?
    えっ……マジで?


    あっ……ははっ。あはっはっ。はははははっ。



    人間という生き物は、本当に困った時には笑いがこぼれるように
   出来ているそうだ。というか、今知った。



    私は商品ページの文章を舐めるように読んでゆく。


   『なお、商品に不備があった場合、又は効果が感じられなかった場
   合、落札された時点で契約完了となりますので、十四日間のみのクー
   リングオフ期間が設けられております』


    そこで、私の得意分野である悪知恵が働いた。


    まず、この商品の額を金融機関より融資してもらい、クーリング
   オフ後、完済。


    利息は発生するが、その方法ならば最小のもので済む。


    あぁ、こんなことばかりしてるから浪人してるんだろうなぁ、と
   少し切なくなり、はぁ、とため息を漏らした。




   『尚、料金は商品到着後に指定の口座に入金して頂ければ結構です』


     ○


    あれからちょうど三日後、私の部屋にチャイムが鳴り響いた。
    この音はNHKの集金の時しか鳴らない為、何と無くこの音は苦手
   であった。


   「はぁい」
    少しの希望と多くの喪失感の中、私は玄関に駆け、ドアノブを捻
   った。


    ドアの向こうには運送業らしき人物が大きな荷物を持ち、立って
   いた。


   「ここにサインを」
    ――とても小声だ。
    彼はすっと胸のポケットからボールペンを取り出し、領収書を私
   の方へ向ける。


    私がささ、とサインしたところで、「まいど」と言いながら彼は
   荷物を置き去りにそそくさと帰って行った。



    ――無愛想にも程が無いか……?
    まぁ見たところ私と同じくらいの年頃だったし、そんなもんか。
    しかしせめてこれを部屋の中まで運んでくれよ、とも思った。



    思わずため息が漏れる。

    これからこれを部屋に上げなければならない。
    私は覚悟を決め、大きい段ボール箱の両端をしっかり掴み(それ
   でも腕いっぱい広げた状態である)、力一杯持ち上げた。

    が。

    がすん、と天井に箱の上部がぶつかった。

     ……意外と軽いぞこれ。これが百二十万の重さかよ……。


    部屋の真ん中に段ボールを倒し、早速開封してみたが、やはり予
   想通りサンプル写真通り。アレである。


    おいおい……著作権は何処に行ったんだよ……。


    なかなかに分厚い説明書が同梱されていたが、私の好奇心はそん
   なものには屈しない。


    ドアを部屋の真ん中に立てた後、私はその前に立った。


   「自分がいちばん輝いていた頃へ」


    そう言って、私はドアノブを捻った。





    駅だ。





    うっわ、マジかよ。ほんとにワープしちゃったよ。なんだよこれ。
   どういう構造?


    ――とりあえず、部屋に戻ろう。


    私は再びドアノブを捻った。





    自室だ。





    うわー、もうなんだかワケがわからん!
    しかも輝いてねーじゃん!


    ちなみに、二度目も同じだった。





    落ち着け私。よく考えるんだ。クールになれ。
    これは“どこまでもドア”だ。空間をワープするもので、記憶を
   改ざんするものではない。


    よって、私が一番輝いていた頃に戻るのは無理だ。

    そしてなぜかいつも駅のホームだ。


    ……どこまでもじゃねーじゃんか。
    こりゃクーリングオフだな。


    そう思った時、私に雷が落ちたような閃きが。


    一度電車に乗ってみよう。
    そうだ。アレの製造元はソッチ系の企業だものな。




    そして私は、最後のドアノブを捻った。




    やはり知らない駅のホームだ。しかし、今回はまばらではあるが
   人がいる。


    そして何故か全員が虚ろな目をしていた。



    なんかやべぇ。



    部屋に戻ろうと思い振り返ると、そのドアは忽然と姿を消してい
   たのだった。





    え。


    帰れねーじゃん。金も印鑑も通帳もねーじゃん。


    これどーすんの?



    はぁ、とまたため息。



    まぁ、いっか。駅員も事情を説明すれば分かってくれるだろう。



    そうこうしている内に、電車が到着することを告げるブザーが鳴
   り、アナウンスが流れた。


   「長い間お疲れ様でした。間も無く電車が到着致します」


    ……オウ、本当に疲れたよ。


    そして電車はゆっくり停車し、ドアが開く。



    周囲の人間も乗車しようとするが、その足取りは重く見える。



    車内の座席はスカスカで、まるで私専用車両みたいになっていた。


   「心残りはありませんね? それでは扉が閉まります。ご注意ください」


    ……何か変なアナウンスだ。胸の奥がざわりとする。


    はぁ、とため息が漏れる。



    そして電車はゆっくりと動き出した。


    まず、この電車はどこへ向かうのか。
    普通ならばどこどこ行きーとか言う筈だよな。


    何か気持ちが悪い。


    すると、くぐもった声のアナウンスが入る。



   「ご乗車ありがとうございます。あなた達はどこまでもドアを使
   用し、自分が一番幸せだった頃に、と言ってドアを開きましたね?」



    はい。その通りです。その結果がこれです。



   「僭越ながら申し上げますと、あなた達に幸せな日々などありませ
   んでした。むしろ、苦労して今まで生きてきたことでしょう」



    はい。その通りです。その結果がこれです。


    友達も出来ず、むしろ同学年には虐められ、入試にも失敗し、た
   め息が癖になり、ろくに勉強もせず、完全にネトゲ三昧駄目人間で
   す。はい。



   「しかし、ご安心下さい。この電車の終着点は同封の説明書に記さ
   れていました通り、『生まれ変わり』でございます」







    ――はっ?







   「説明書の通り、今世ではご活躍出来なかった方々への救済措置と
   して考えて頂いて結構です。そしてオークションでの料金はあなた
   方自身の価値で御座います」



    あぁ、そういうことか。



    やがて電車はゆっくりと停車してゆく。




   「来世でのご活躍を期待しております。それでは、ご乗車ありがと
   うございました。来世ではご乗車にならないよう、ご注意くださいませ」




    私は俯き、私としての最後のため息をついた。




    いつの間にか車内の電灯は全て消え、辺りは漆のような黒に包
   まれていた。



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