夢の中へ
 


   僕は、夜が好きだった。
   逆に、うるさくて寝付けない夜だったり、暑くて寝付けない夜は
  大嫌いだった。
   とどのつまり、夢を見ることが好きだったのだ。

   眠っている内に見る夢、と云うとみんな意味不明な場所だったり
  現実では起こりえないであろう状況だったり、そんな事の方が多い
  と思う。
   明晰夢、というものも存在するらしいが、僕はいつも夢の内容を
  信じて疑わないし、それを現実に起こっているかのように錯覚する。

   しかし、いつからだろうか。
   一週間前? 一ヶ月前? 一年前? もしかすると、もっと前かも
  知れない。
   僕の夢の中には必ず一人の女の子がどこかにいるのだ。

   何時かも分からない時代、見たこともない景色、知らない人たち
  昔のクラスメイト、昔通った小学校。
   普通の、何の変哲もない夢なのに、必ずどこかに女の子がいる。

   初めて気付いた時はいつだったかもう解らなくなってしまったが
  夢の中で出会ったその子はとても魅力的なのだ。
   さらりとしなる長い黒髪。動くたびにひらりと揺れる真っ白なス
  カート。
   おそらく、恋をしてしまったのだろう。
   不思議な事と云えばもう一つある。夢の中の彼女は、僕の夢の中
  での記憶が保たれていた。
   例えば、火曜日の夜に僕が通っていた小学校に、大人になった僕
  や昔のクラスメイト達がタイムカプセルを掘り返しに訪れる、とい
  う夢を見た事がある。
   その中に、ごく自然に彼女も居る。他のクラスメイト達と談笑し
  ているのだ。それがさも当然かのように。
   そして、さあ掘ろうか、というところで、あにはからんや僕は目
  が醒めてしまった。
   覚醒後、もしかしたら実在していたのかも知れない、僕が忘れて
  しまっているだけなのかも知れない、と半狂乱になりながら押入れ
  の奥にしまっていたアルバムを開いて彼女を探しては見るものの
  そこにはやはり居ないのだ。
   真夜中に押し入れを探るなんて、ましてや存在すらしない女性の
  姿を探すなんて、自分でもどうかしていると思う。

   そして次の日の夜、つまり水曜日の夜に眠りにつく。当たり前の
  ように夢を見る。
   すると、それがさも当たり前かのように彼女はいる。
   そこは昨夜とは全く違う場所だった。明るいエレベータが目の前
  にあり、グレーの絨毯が敷き詰められた、ビルのような物の中に
  僕と彼女は立っていた。

   そして、彼女は僕に駆け寄り、一言言うのだ。
   “昨日は楽しかったね、カプセルの中見れなかったのはちょっと
  残念だったけど”

   そしてまた彼女との限られた時間が始まる。

   さて、今思い返してみて、この“夢”の事実というか、気づいた点
  がいくつかある。

     一、覚醒後、必ず夢の内容をはっきりと憶えている。
     二、日をまたいだ夢の中でも、僕と彼女は夢の中での記憶を保持
               している
     三、夢は僕が見知った人間や場所が中心となっている事が多い為
              僕の夢に彼女が干渉している可能性が高い

   という事である。

   ここまでくると、何がどうなっているのか気になってしょうがない。
  理由を知りたくなるのが人間の性である。
   しかし、それを知ってしまうと彼女が離れていってしまう気がし
  て、恐ろしかった。
   一度だけ、夢の中で彼女に尋ねた事がある。
   “君は、現実に生きているの?”
   すると、彼女はうつむき、少し笑いながら“さあ、どうでしょう
  ね”とふにゃりと答えた。

   彼女は、何者で、何がしたいのだろうか。
   僕の、夢の中で。


                ○


   いくらかの時間が過ぎた。その間、少しだけ夢を見る頻度は減っ
  たものの、夢を見た夜は相も変わらず彼女がそばに居てくれた。
   そして確実に夢の中での彼女との距離は縮まっていた。
   一方リアルでは僕はそれまで住んでいた場所とは少しだけ遠い場
  所の大学を受験し、合格していた。
   そして大学入学に際して、僕は入学する大学の近くに下宿する運
  びとなった。

   入学式も無事に済み、共に出席した母は実家に戻った。
   その夜、この辺りの地理が全く分からなかった為、部屋の片づけ
  もほどほどに独りでふら、と散歩をする事にした。
   実家と比べると田舎だが海が近く、夜の潮風が気持ちいい。
   それにも相まって星がとても綺麗で、足が軽くなるような夜だった。

   初めての一人暮らし。不安と期待とが混じり合った不思議な気持ち。
   それを誤魔化すかのように僕は堤防にひょいと飛び乗り、その上
  を歩き出した。
   波の音と、靴底とコンクリート製の堤防とがこすれ合う音が僕の
  夜に響いてゆく。

   独りで歩く堤防沿い。満天の星空。少しだけ欠けた月。

   こつり。

   小さな音が僕だけの夜を遮った。
   思わず頭を上げ、前を見る。

   その時僕は、幾度となく見ているのに、初めて見るというなかな
  かに理解しがたい人影を見た。

   水が流れるようにしなやかに揺れる長い黒い髪。
   心臓がどきりと跳ねた。

   夢の中の彼女が、目の前にいたのだ。

   人間が本当に驚いた時というのは声が出ないというのは本当の事
  らしく、僕は何も言えず、ただただ立ちすくんでいた。

   僕に気付いた彼女はゆっくりと振り向ながら目を細め、“昨日ぶ
  りだね、こっちにきたんだ”とまたふにゃりと笑う。
   あの声、あの笑顔、あの仕草。
   間違いない、間違えるわけがない。夢の中での彼女だった。

   正直、何も考えられなかった。夢の中で恋い焦がれた彼女が目の
  前にいる。現実に存在している。
   どうしたの?そんなにびっくりしちゃって。あ、そうか、現実だ
  ったらはじめまして、だね。
   そう言って彼女はぺこりと頭を下げた。

   あ、あぁ。はじめまして。
   僕もつられて頭を下げる。

   夢の中の君だよね?本当に?何故、僕の夢に?矢継ぎ早に僕は詰
  問する。

   そんなにいっぱい聞かれても答えらんないよ。
   彼女はいたずらっぽく言った。そうすると彼女は、知ってる事だ
  け教えるね、と続けた。

   私もいつの間にか君の夢の中にいたの。昔からそう。いつの間に
  か私は誰かの夢の中にいるんだ。
   君の夢の中だって認識し出したのは、君が夢で話しかけてくれて
  から。

   彼女はちょこんとその場に座った。小さなサンダルが愛おしい。

   いつも、思ってたの。何故この人がいつも夢に出てくるのか。あ、
  この人っていうのは君のことね。
   でも、これはこういうものなんだって思うことにしたんだ。

   潮風が心地よい。

   ていうか、声も話し方も表情も、全部夢の中の君と同じなんだね。
  ちょっとびっくり。
   彼女が笑う。
   まるで、まだ君の夢の中にいるみたい。

   でも不思議だよね、同じ夢を見てるなんてさ。
   それも起きて見る夢じゃなくて寝て見る夢だよ?

   あはは、と無邪気に彼女は笑った。
   ねぇ、僕は――。言いかけた瞬間、彼女が僕の唇に人差し指を当
  て、僕の言葉を遮る。
   うん、分かってるよ。私も、君の事が好きになっちゃったよ。
   次は、同じ夢でも、起きて見る夢を見てみたい。

   そう言いながら彼女は僕の手を無理やり握って、堤防から引き摺
  り下ろした。バランスを崩した僕たちは倒れ込んで、偶然にも星空
  を眺める形になった。

   彼女と僕は、夜が好きだった。




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