夢を見たあとで
 


    夢を、見ていたらしい。いくつかの破片が散らばったフロイトの
   中を私は泳いでいた。それがどんな内容だったかを覚えておくため、
   私は夢日記なるものをしたためている。
    まず、夢日記とは、その日見た夢をノートに書き込んでおくとい
   う、たったそれだけの事だ。そして、それによって解った事がいく
   らかあった。
    まず、夢というものはしばしば忘れてしまいがちだが、目が覚め
   た直後は不思議なくらい明確、鮮明に覚えている。私は枕元に一錠
   の睡眠導入剤と小さなノート、ペンを置いて眠りにつく。
    夜中にトイレに目が覚める。私の体は睡眠導入剤によって筋緊張
   が抑えられているため、ふらつきながらトイレに向かう。この時点
   では、はっきり夢を思い出せる。しかし、いざノートに起こそうと
   思っても思い出せない。体中がむず痒い。虫唾が皮膚下をマラソン
   し始める。
    しかし、そんな現象も三日目の夜からは無くなった。いつか見た
   ような、見たと言われたらばそんな気もするし、そんな事はなかっ
   たと断言されるそんな気もする。そこで私の海馬は疑問を感じたの
   だろう。夢の内容がまたたく間に溢れ出してきたのだ。
    それは晴天に霹靂を見たようだった。
    私は口に出しながらノートにボールペンを走らせてゆく。文章に
   するのは億劫だったため、箇条書きで書く事にした。


    ***
   ・コンビニのアルバイト
   ・家に帰ると知らないおじさん
   ・母のうなじに裁縫針で刺青「悪いヨメ」
   ・家中血濡れ
   ・母の首に大量のガーゼ
   ・おじさん、手斧で家を荒らす

    場面が変わる

    ・夜の十時なのに明るい(寂しい青?)
   ・なっちゃんとその家族が海を見てる
   ・屋台を片付ける私

    目が覚める
    ***


     いつの間にかノートは夢の内容だけで埋められていった。不思議
   なことに、こうして夢日記をつけているとその記憶が海馬に定着す
   るのか、いつでも思い出すことができるようになった。恐ろしいと
   感じたあの寒気。寂しそうな表情で私を見つめる老婆。動脈血のよ
   うにどす黒い赤い羊羹。
    それに気附いてからというもの、夢は私のそばを離れることは決
   して無かったように思う。
    私には困ると右手の親指を他の指で包む癖がある。しかし、夢の
   中の私は何故か一切それをしなかった。まるで夢というものが意志
   を持っていると言わんばかりに、だ。
    これは夢だよ。夢の中は君の自由なんだよ。なんだって出来る。
    いつの間にか私は夢の中で生きる私がリアルだと感じるようにな
   っていた。
    そしてまた、今夜も夢に会いにいく。

     どっちでもいいじゃないか、夢も現実も、同じなんだよ。現実の
   君は現実によって動かされている。
    例えば――、君は学校に通っていて、アルバイトをして、貯めた
   お金でコカ・コーラを飲む。現実に疲れた君にとっては堪らないく
   らい美味しく感じるだろう。
    夢は、君ありきで生かされている。僕たちが生きるために必要な
   のは君の睡眠だ。現実が眠りに落ちた時、夢には朝日が差す。ほら、
   何も変わらないじゃないか。
    生きてるって何だろうね? 僕たちから見た現実はまるで夢のよう
   だよ。悪夢だ。
    動物的本能を捨てて、『人間』をしている。夢の中の人たちはそ
   んな顔はしない。『人間』じゃないからだ。
    動物として自然な行動をその進化しすぎた倫理観で禁句とする。
   社会的規範の中でしか生きられない、まるでえらを失くした深海魚。
    それなのに逸脱した行為を行うものを異端だと決め付ける。そこ
   に倫理はあるのだろうか? イヤ、僕は無いと思うなぁ。
    ここには時間も他人の意識も無い。意識の中の無意識。そして無
   意識のもっと奥に、無意識の中の無意識がある。
    集合的無意識。全人類が共通して持っている“何か”だ。遺伝子
   レベルで受け継がれた感情や畏敬の念がここにある。
    現実を見てみなよ。そんな素敵なものは無いだろう?
    もし無い、というのであれば、君はもう夢の住人だよ。

     さあ。

     私の手はそこへ伸びようとする。

     君は生まれてからいつ世界を理解したかい? 初めてこれが世界
   だと感じたのは?
    一切光の入らない場所に赤ん坊を放置するとどうなる? 泣き出す
   よね?
    初めて黒色人種を自らの目の当たりにした時、君はどう思った?
   恐ろしかったよね?
    炎を初めて見た時どう感じた? 安心した? 怖かった?
    ――全部正解なんだよ。
    僕たちの祖先は暗闇を恐れた。どんな猛獣が襲ってくるかも知れ
   ない。そこ何がいるのか分からない。恐ろしい。
    黒色人種は元々はアジア圏には存在しなかった。十六世紀に初め
   て来日したんだ。その時に奴隷として日本人を連れ去ったんだって
   ね。恐ろしい。
    炎は辺りを明るくしてくれる。夜にはそれがあれば獣は寄って来
   ない。安心。でもそれを触ると火傷してしまう。怖い。
    『人間』が『人間』になる前の、つまり君たちの祖先の記憶が自
   然とインプットされてるんだ。それって不思議だと思わないかい?
    遺伝子が記憶しているんだ。さっき遺伝子レベルで受け継がれた
   って言ったでしょう? つまりは、集合的無意識。
    それを通してみると、あれ? たくさんの人たちの夢が一つになっ
   ちゃった。
    不思議だねー? なんでだろうねー?
    知りたかったら、こっちへおいでよ。

     さあ。

     私の手は引くことを知らない。

     集合的無意識のネットワークを、君の夢というデバイスでアクセ
   スするんだ。
    他の人の夢も全部ここにある。
    現実は様々なバイアスによって真実はひしゃげられている。
    夢の世界にはそんなものは一切無いんだ。
    どう思う? 素敵じゃない?
    自分が今いるリアルがとても小さなものに思えてこなかった?
    それで正しいんだ。それが動物的本能なんだ。それがニンゲンと
   いう生物なんだ。
    決して『人間』じゃあない。

     さあ。

     それはそうと、僕は君だよ。
    君は君の無意識的意識が事象として認識できるようになった。
    僕は君の無意識的自我理想なんだ。
    君の深層心理では君は僕になりたがっている。
    違うなんて言わせないよ。僕は君から生まれたんだからね。

     さあ。

     夢日記を続けてから解ったことがある。

     私は私ではない。

     じゃあ私は一体、誰なんだろうか。
  
 




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