人の左手、世界の右手
 


    例えば神様がこの世界を操っていて、この世界という箱庭を観察
   しているだとか、この世界に起こりうる事は全て必然だとか、運命
   という物は既に決まっている事を消化しているだけだとか。

    私はよくそんな事を考える。

    考えたところで答えなんてきっとないし、それを知ったところで
   どうにも出来ないことは誰の目で見ても明らかだ。

    人は、自分を自分ではない、と認識した時にはどうなるのか。

    答えは自我が崩壊してしまう、ということだ。

    第二次世界大戦中、ユダヤ人に対してそんな人体実験をナチスが
   実行したらしい。
    どうしたら命令に反しない兵士を作れるか。どうしたら人を操れ
   るか。

    結局ナチスは人の自我を崩壊させ、自分の思うままにさせるとい
   うなんとも恐ろしい答えに達した。

    ゲシュタルト崩壊による自我の消失である。

    人は、自分が自分以外の何者かに操られているとしたら、それを
   知った時にどうなるのか。

    答えは、自我が存在しない為知る方法が存在し得無い、といった
   ところか。

    例えば、かたつむりに寄生し、その体を意のままにする寄生虫。
    それも、かたつむりの命が無くなっても動かせる、いわゆるゾン
   ビ状態にできるロイコクロリディウムという虫がいる。

    そのように、もしも私たちの見えないモノが私たちを動かしてい
   るならば。
    私たちには知り得ない場所で私たちを操作しているならば。
    それに抗う手段はあるのだろうか。

    そんな事はさっきと同じ、考えるだけ時間の無駄だ。

    ――何故そんな事を考えてしまうのか。

    私がそうかも知れないからだ。

    私は最近自分の中にもう一人の自分がいる気がしてならない。
    というよりも、其れに操られているような気がするのだ。

    一日中ぼうっとしている事も増え、考える事を一切やめてしまう
   事もある。

    何かの思い違いだと思いたいのだが、今日、其れと思わざるを得
   ない出来事があった。
    頭には言葉が存在するのにも関わらず、口に出せなかったのだ。

    今日は右脳は元気に働いてくれ、考え事に没頭出来る。

    学校にはあまり顔を出さなくなった。

    それでも彼は私に前と変わらず接してくれる。
    誰も何も変わっていない、そんな風に話してくれる。

    そんな彼に申し訳が立たなくなるのが一番の恐怖だった。

    精神に異常をきたしているのかと思った私は精神科を受診してみ
   たものの、医師には問題は無いがカウンセリングをする、という的
   を射ない答えが返ってきた。

    親には無理をするな、と言われている。
    しかしそんなに何事にも無理をしているつもりも無いのが事実だ。

    もしかすると、私以外の私が無理をしているのか。

    そうするとこの意識を持っている私は、本当の私ではないのだろ
   うか。
    では、本当の私とは一体誰なんだろうか。

    そもそも、私はここに存在するのだろうか。

    そんな事を考えた時、胡蝶の夢を思い出していた。

    窓の外は雨が降っている。
    まるで私の心を読み取ったかのような空だ。

    そうだ、この虚無感はきっと祖母が他界したからだ。
    残念ながら死に顔には会えなかったけれど。きっと優しかった祖
   母がいなくなってしまったからだ。
   「由香里、ご飯よ。今日は白子だから早く降りて来なさいね」
    ドア越しに母の声が聞こえたかと思うとすぐにぱたぱたと階段を
   降りてゆく音が聞こえた。

    そして私はふらりと立ち上がる。

    まるで、誰かに操られているかのように。




       前の話へ  TOPへ  次の話へ

 

 

 

inserted by FC2 system