自己嫌悪とランタンの灯り
 


    深夜の学校には、雪がちらついていた。
    積もるような雪ではなく、地面に落ちるとその瞬間に解け始める
   ような、儚いそれだった。

    大船高校の中庭は純和風の庭園のようになっている。
    この場所で昼食を摂る学生も少なくは無い。
    だが、現在の時間は深夜の一時である。こんな時間にこんな事を
   しているのは一(ニノマエ)だけだろう。
    彼は小さな手提げランタンに灯りを灯し、夜空を見上げながら物
   思いに耽っていた。
    用務員すら居ない、深夜の学校。何の物音もしない、考え事をす
   るには最適の場所。
    はぁ、と白い息が漏れる。

    今年度も、もう終わる。
    思えばあの日以降惰性のように過ごした日々だった。

    あれはいつだったろうか。佐久間が泣いていた。もう記憶の彼方
   に葬り去られた、悲しい記憶。
    というよりも、自ら葬り去った、と云った方が正しいだろう。

    あの頃の彼らは現実を受け入れられる程強くは無かった。
    そしてまた彼は自己嫌悪に陥る。

    あの時、俺は佐久間に何と言ったのだろうか。
    もう今となっては思い出せなくなっていた。
    恐らくは思い出す必要性も無いであろう。

    側の大木には相合傘と知らない名前が刻まれていた。

    遠くで人の話し声が聞こえる。
    恐らくこの学校の敷地内だ。彼は不信に思い、耳を澄ませた。
    こんな時間に、誰が何をしにきたのか、疑問に思ったのだ。


   「やめとけって。お前前科あるじゃねーか」
    聞き覚えのある声が聞こえた。
   「だぁいじょうぶだって!  今なら誰も居ないよ!」
    ――佐久間?

    ランタンの灯りに吸い寄せられた虫たちはこの世界の縮図かと思
   え、彼自身もその一部だと感じさせられた。

    実力試験が終わり、たまにはゆっくりと煙草を蒸そうとしたらこ
   れだ。
    いつもいつも、あいつは俺の全てを奪ってゆく。
    それが、何とも気に食わなかった。

    自分では馬鹿だと云っているくせに、本当はそうじゃない。
    俺にとってのこの世界の主人公は、俺のはずなのに。
    何故、何故。

    彼の足はぱたぱたと揺れ始めた。
    それが寒さによるものか、苛立ちからくる貧乏揺すりかは分から
   ない。

    どうやら、安定剤が切れたようだ。そしていつものように自己嫌
   悪。

    あいつが俺より全てにおいて優れているのは自分だって充分に分
   かっている。

    そして、由香里に対する悲しみも。

    記憶のメモリーダンプは既に一杯だ。
    圧縮化することにより、自分を保っている。
    壊れたプログラムは、自分で修復することは不可能に近い。
    だからこそ彼は精神科でプロトコルの修復を余儀無くされている。

    由香里、見てるか? 今の俺をどう思う?
    彼は震えた声で言う。

    彼はよく、“死は別の次元に移動する事”だと考えている。
    例えば、二次元は三次元に観測されている。
    二次元に対して三次元は時間超越も可能である。

    そして、死を経験した者は四次元へ移動する。
    つまり、三次元に生きる彼らは常に四次元に観測されていること
   となる。

    前述した仮説に沿って述べるならば、四次元の“モノ”は三次元
   に対する時間超越が可能だ。
    だから侍の幽霊が見えたり、着物の女が立っている、という事が起きる。

    心霊スポット、というのは大抵の場合磁場に異変があったり、電
   磁波が発生していると聞く。
    その影響で次元が歪んでいる、としたらどうか。

    そこには四次元との繋がりが生まれる。

    幽霊という存在は四次元の住人なのではないか。

    だから、由香里も、ここにいる。
    どこかで俺たちを観察している。
    そう思わないと、自分を殺してしまいそうになる。

    人間には二つの目が付いている。それは三次元を三次元と認識す
   るためだ。
    片目を閉じれば、世界は薄っぺらい二次元に変わる。
    よって、人間の目はn+1次元を見ているという仮定が生まれる。

    もしも、もう一つ目が増えれば四次元を見ることが出来るのか。
   彼は出来もしない事を考える。

    バルコニーから、佐久間のはしゃぐ声と菅生の冷めた声が聞こえる。
    どうしてこんな時に限って奴らは俺の神経に傷を付けようとするのか。

    四次元の“モノ”は、人間と呼べるのだろうか。
    由香里はまだ人間なのか。
    俺は、まだ人間なのか。

    ランタンの灯りだけが彼を照らしていた。

    時間超越、か。

    アンタはいつから俺たちを見ている?
    この先、俺たちはどうなっている?

    彼は変わらずに雪を降らせる空を見上げて呟いた。




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