こどもごと
 


   「祐介、僕はさ、思うんだよね」
    佐久間はいつもとは違った声色で空に投げかけた。この世界の彼にはもう届
   かない。
   「僕たちは大人になっても子供のままなんだ。いつか、君に言ったよね。僕た
   ちはいつか大人になるのかって」
    菅生の遺体の損傷は激しく、遺族たっての願いで納体袋に入れられ、先に火
   葬を済ませてからの骨葬となった。それはまるで拷問を受けた後のようなそれ
   であり、長い期間放置されていた為、腐敗も進んでいた。それは一(ニノマエ)
   も変わらなかった。

    「僕たちは結局大人にならなかった。いや、なれなかったのかも知れない。僕
   らしくないんだけどさ、僕はずっと世界に喧嘩を売っていたんだね。知識ばか
   りを身につけて、必死で大人になろうとしていた」
    佐久間は泣けずにいた。この場所で彼らの死を悲しむのは無粋だと思ったか
   らであった。

    「それ自体が子供の戯言、こどもごとだった」

    葬儀場の外は少しの雨が降っていた。今まで、身近の人間の死を何回経験し
   ただろうか。佐久間は考えていた。ヒロユキは自分を殺し、コウタは事故死、
   菜穂は奇病、そして菅生、一。
    自分に関わった人達がいろんな形でこの次元を去ってゆく。自分は疫病神な
   のではないかとすら佐久間には思えた。そして幾つもの死を見てきたからこそ、
   佐久間は“由香里”という概念を殺したことを後悔していた。

     ――もしも、自分の中にまだ由香里が存在したならば。少なくとも菅生と一
   との死は免れたのかも知れない。いや、もしくは何も変わらなかったのかも知
   れない。考えても無駄な事は分かってはいたものの、そんな事が彼の頭の裏側
   を埋め尽くしていた。
    曇った空は、まるで彼の心を表しているようで、なんとも不気味に思えた。

    「唯一神のピーター・パンは、どこにもいなかったんだ。みんながみんなピー
   ター・パンだった。当然僕もそうだ。知識だけ蓄えたところで何にも役に立た
   なかった。そればかりか、君たちを殺す元凶となった」
    神様は残酷だ、と小さくうつむく。土が少しの雨を吸い、浅黒くなってゆく。
   どうも革靴は窮屈で苦手だ。そんなことを思いながら彼はゆっくりと歩を進め
   る。やがてぬかるみ始めていた地面が荒いコンクリートに変わり、靴底の感触
   が変わった時、土とコンクリートとの間に小さな花が咲いているのを見た。そ
   れがとても健気に思え、菅生との別離が憚られる。

     彼は、小さく笑う。きっと菅生は僕の泣き顔になんて興味はないだろう、か
   らからと馬鹿のように笑うピエロが彼にとっての自分なのだ、と感じたからだ
   った。

     菅生はあまり懐疑主義的では無かった。独在論なんて信じもしなかっただろ
   う。しかし佐久間はその可能性も考えられるとして、少し感傷的になった。独
   在論に則って考えれば、菅生の世界にはもう何も存在しない。悲しむ僕や遺族
   らさえも、もう何も無い。なればこそ、佐久間は自分だけでも彼らの事を忘れ
   ないでいようと思ったのだ。尤も他我なんてものは人には解ったものではない
   が、せめてもの弔いになるであろうと彼は考える。

    「由香里だった僕は一回死んで、信也(シンヤ)になった。二回目の人生だよ。
   祐介はいつ死ねるんだろうね」

     佐久間は、死とは生存権を剥奪された場合と、他人の記憶から抹消された場
   合に起こる、と定義付けている。

    「結局由香里は死ねなかったんだ。あまつさえ彼女は君たちを殺してしまった。
   客観では僕イコール由香里とされているだろう。そうすると、僕が君たちを殺
   したことと同義なんだ。僕が、全て狂わせて、壊した」

     観測され続ける立場である以上、彼らには何もできない。

    「ねえ祐介。僕に出来る事って何なのかな。もしかするとそんな事無いのかも
   しれないけどさ。僕は結局一人では自分を確立できないんだ。頼むから、祐介」

     そこで初めて、佐久間の頬を一筋の涙が伝った。
   「誰かが僕を僕と認識してくれないと、由香里だった僕は、僕であることを否
   定されるような気がしてならないんだよ」

     ピーター・パンは延々と彼らを見続けていた。そして彼らよりも一つ上の階
   層にいる彼はただ無感情に世界を動かし、彼の思うままに理想の世界が作られ
   てゆく。

    「ピーターは自分の理想の王国、ネバーランドを作ろうとした。大人になるこ
   とを拒み、家出をし、母親には捨てられた。世界が彼を拒んだ。――それって
   さ、僕たちと何ら変わらないんじゃないかな。彼は大人になりたくない子供に
   とっては神に思えただろう。でもね、実際のところはどうだろう。成長を望む
   子供たちにとっては悪の権化にも見えるだろうさ」

     世界に、変革を。そしてどの時代にも変革をもたらす者には死がつきまとう。
   アドルフ・ヒットラー然り、坂本龍馬然り。

    「そしてピーター・パンの望んだ世界には性という概念が無かった。というか、
   邪魔だったんだろうね。子供のまま生き続けるんだから。性がそこに存在して
   はいけなかったんだ。君にとってのメイミイは僕だった」
    気の遠くなるような坂道の上では、子供たちが展望台で雨宿りをしていた。
   佐久間は幼少の頃を思い出し、ふふと口角が上がる。
   「由香里が僕になったのも、菜穂が死んだのも、全部君の思惑通りだったって
   いうわけだ」

     こんな俺を、非道いと思うかい? ――当然だろうな。

    「僕はようやく解に辿り着いたような気がするんだよ。祐介」


     佐久間はどこにいるのかも知れない“俺”に手を振る。

    「さよなら、ピーター・パン」

     そうだ。さよなら。俺はやり方を間違えたのかも知れない。それも、もう良
   かった。

     とぐろを巻く蛇のような薄気味の悪い雲が空を覆っていたが、これはこれで
   綺麗なのではないのか、と佐久間は感じているようだった。






    コドモゴト 了





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